4月は君の嘘が神アニメでした。なぜ感動するのか考察とネタバレ感想
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言葉の一つひとつが心から離れない。
取り残されたような虚無感に支配される
おかしい。もうひとりぼっちなんかじゃないはずなのに。
なにもかなしいことなんかないはずなのに、
どうしてこんなになんにもやる気が起きないのだろう。
「四月は君の嘘」
間違いなく神アニメです。
目次です
神だと思う物語の定義
それは、終わった後に取り残された気持ちになるものだと思います。
たとえ一瞬だったとしても、私が間違いなくその物語の中の一部になった時。
物語は現実のものとなる。
かつてわたしが魔法の世界に行きたいと心から望んだように。
そういう意味で、間違いなく「4月は君の嘘」は神の部類に入る物語だったと断言します。
毎回毎回、こんな物語に出会うたびに死にそうな気持ちになる。落ち込んで苦しんで何もかもどうでもよくなって何もやる気が起きなくなって。それでも、また新しく限界を超える物語を探しに行ってしまう。どうしようもなく馬鹿だと思います。
それでも好きなんだから仕方ないです。
注意)この先、ネタバレを含みます。
大好きなものは大嫌いなもの
こんなに泣いたアニメは「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」以来です。
あのアニメもそうだったけれど、一話一話ぼろぼろ泣いてしまいました。
「あの花」の方は号泣で、「4月は君の嘘」はぽろぽろな感じ。
忘れられないものに対して一途に真摯に正面から向かい合って、乗り越えようとあがく姿はかっこ悪いのに、なぜだか愛しくてまぶしいです。
好きなものは同時に嫌いなものです。
それでも立ち向かう。
好きだけど、否、好きで好きで好きでたまらないが故に。
時々見失うのでしょう。
迷った時には死んだも同然です。
出来なくなったときには絶望です。彼らにはそれしかなかったから。
そうやって生きていくしかなかったから。
「そうやって私たちは生きていく人種なの」
なんて美しく、切なくて、苦しい言葉なのでしょう。
わたしは音楽家じゃないけれど、彼らの気持ちは痛いほど伝わってきました。
それでも生み出し続けなければならない苦悩はいったいどれほどだったのでしょう。
弾きつづけるのはどうしようもなく心が痛むけれど、立ち止まることすら苦しくて、つらくて、悲しくて。ほんとうは弾きたいのにどうしても音が聞こえない。
そんな彼らが必死に前を向き、悩みながらも音楽を弾きつづけるさまは、ほんとうに見事でした。
その想いをこめた言葉と、絵と、音と、場面を、完璧に表現しきった。素晴らしいアニメでした。素晴らしいというか、いっそ美しい。桜のように雨のように音もなく降り積もる雪のように。
わたしは一生忘れられない
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椿のジレンマ
これもすごく共感したもののひとつでした。4月は君の嘘の中の女の子は、高確率で公生に理不尽な暴力をします。こういう女の子ってひたすら自分勝手であんまり好きになれない場合が多いのですが、この物語は違います。照れ隠し、言葉に出来ない言葉を投げつけている。
暴力がいいとかじゃなくて、彼女たちはそうするしかできなかったのですよね。
椿が音楽を嫌いになる気持ち、私にはけっこう身の覚えのあることでして、ぐっときました。
私の大事な人は、空を飛ぶのが大好きな空バカです。空が大好きでたまらない。
今はそんなでもないですが、当時は空に完敗してばかりでした。
わたしのことなんかちっとも見てないんじゃないかってくらい。
空を飛ぶ姿はほんとうに鳥のようで綺麗で、音もなく舞い降りるときのあの静けさが、どうしようもなく好きだけど。
でも、同時に大嫌いでした。
空に取られる気がしました。
椿も公生の音楽を応援したいし、好きだけれども。
それでも宮園かをりと公生を繋いでしまう音楽がとてつもなく嫌いになってしまった。
嫉妬するなんて醜くて後ろ暗い気持ち、知りたくなかったのに。
そうやって大人になっていくのですね。
宮園かをりという存在
わたしは無駄に人が死ぬ話は嫌いです。
特に泣かせるためだけに人を死なせるストーリーは嫌い。
そんなことをしなくたって現実世界では理不尽に人が死んでいくのに。
でもこの話は違います。
物語を作り上げるうえで、彼女の死はどうしても必要なものでした。
最後の最後で実は生きていました、なんてご都合主義展開になっていたら、たぶんここまで落ち込んだりしませんでした。もちろん、「宮園かをりが生きた」世界を見る事だって、幸せです。
あがき続ける彼らが純粋に幸せになるのだって、見てみたかった気持ちはあります。
でも、それでは彼女が残してきた言葉たちは嘘になってしまいます。
彼女は死ぬとわかっていたからこそ、何にも縛られない音を奏で、大好きな人のために言葉を尽くしました。
死んでしまったら、肉体は世界から消えてしまう。
それが彼女には怖かったのでしょう。
それはそうです。誰だって死ぬのは怖い。特に彼女はまだ若すぎました。
自分の人生が何だったのか、自分は何のために生まれたのか。
両親を悲しませるだけの存在だったのではないか。
だからこそ彼女は、忘れて欲しくなかった。
ひとりぼっちで死んでいき、忘れてられていくような存在になりたくなかった。
たとえそんなことをしても何の役にも立たなくたって、意味なんかもしかしたらなくたって。
それでも、大好きな人の心の中に住めたのならば。
それはきっと死にゆく身としては、最高の幸せなのではないかと思うのです。
同時に、その心の中に居場所を作っていけばいくほど、いなくなったときに苦しい想いをさせるのではないかというジレンマも抱えながら。
だからこそ彼女は、
「出会わない方が良かったね」
「忘れていいよ」
そんなふうに言ったのでしょう。
傷付けるためでしか在れないならば、幸せに出来ないならば。
それは本意ではない。苦しませるしかできないのならば、存在していない方がまだましです。
公生の音楽が伝えたもの
でも公生は違ったのですよね。
確かに死んでしまうのを見るのは、身を引き裂かれるくらいつらいけれど、それでもその出会いや、くれた言葉や、見た風景、感じたこと、一緒に過ごした時間、そして、宮園かをりという存在そのものが無駄ではなかった。彼は、何度も諦めかけながらも音を紡ぐことで、そう、彼女に伝えました。
そうして宮園かをりの存在を肯定し、忘れられない気持ちを抱えながらも、前を向いて、生きていく。
何も思い残すことのない、終わりの描き方だったと思います。
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