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真面目こそ幸せになれる仕事観を悶々と語ります・・・

こんにちは、夏樹です・・・!いつもお読みいただきまして、ありがとうございます。

今日は私の仕事観について・・・・。

 

最近、悶々とした日々が続いていました。

・・・・悶々と、考えても仕方のないことを考えているのは、まあ、いつものことなのです!!

でも、ここ何カ月かは、本当に仕事が充実していて、もう、何も怖くないわー!レリゴー!くらいな感じで、おおむね、すごく自由に行動&発言していました。

それがちょっと、問題がおきまして・・・・。

 

スランプになりました・・・

色んなことが怖くなってしまいました。仕事の在り方、今後の不安、そして何より、居場所がなくなることの恐怖みたいなもの・・・。

私には夫がいます。時に夫が支えてくれます。居場所が1つでもあること、それはすごく幸せなことであり、それ以上ももっと欲しいなんて望むなんて、贅沢かもしれない・・・

 

でも、贅沢だと言われようがなんだろうが、家庭に居場所があっても、私は、家庭以外に居場所を持つべき、持っていい!!のだと考えています。

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目次です

外に居場所があるということ

私の母は、専業主婦でした。そんな母はすごく、「母」として素晴らしい人で、いまでも私は、母のことは大好きです。私がこの仕事に就けているのも、いままわりにいる人のおかげはもちろんのこと、母のおかげでもあると思っています。

色んな人が私の夢を馬鹿にする中、母だけが信じてくれたからです。

 

そんな母は、ある日突然、宗教にはまって借金をし、家を出ていってしまいました。今もお金をせびる電話を父や祖父母にしています。

そんな母を変えたものは色々あったと思うのですが、一番は、子供たちが自立したことにあったのかな、と今は考えています。

父とはあまり仲が良くありませんでした。いわゆる価値観の違いというものです。母はもっと、自由に、それぞれがやりたいことをやるべきだという価値観を持っていたように思います。

一方父は、安泰、安定した生活が何より大事で、~すべきという価値観を持っていました。

 

真逆とも言える価値観・・・

なかなか折り合わないことも多く、母がよく口をつぐんでいたのを覚えています。

そんな母は、子供、私たち兄弟のことをすごく大事に想ってくれて、時には無謀だとしか思えないような夢であっても、応援してくれました。そんな子供たち・・・私たちは、全員が家を出て、離れて暮らすようになり。

実家にばかり引きこもって友達もほとんどいなかった私も、新しい土地、京都で、心の底から分かり合える家族のような人たちと出会うことができました。新しい居場所を見つけたのです。

そして弟や、妹も。

残った広大な空間・・・

そして母は、父と、愛犬はいましたが、あとには田舎の広い家だけが残りました。

母にとっては、とても寂しい生活だったのではないかと、思います。そして、途中から働きに出ていましたが、その働き先でも、いじめを目の当たりにしたり、人間関係が上手くいかなかったようです。

居場所は、家だけ、だけどその家にも、もう居場所がなかったのではないかと思います。

 

そんな母を支えたのが、母の姉でした。

母の姉が、宗教にはまり、そんな姉のことを大事に想っていた母も一緒にはまっていた・・・という感じです。

宗教は、良いものも悪いものもあります。全てが悪いとは思わないです。何かにすがりたくなることもあるし、私も、よくゲームをしたり、お酒を飲んだりするのは、ある意味これは宗教なのだとも思います。

日本は八百万の神様がいると言われていて、それは万物に神さまが宿っているという考え方です。だから、今私が打っているキーボードのキー1つ1つも神さまだし、良く見ているアニメも神さま。神アニメ。

神ゲーム、そして神酒です。

 

何かに逃げたり、すがったりすることによって、また明日も頑張ろうと思うことができます。

だから宗教や何かに祈ること、逃げること自体は悪い事ではない、ただし、その祈った相手が・・・例えば、ゲームだったら課金地獄にハマるみたいな感じで、自分や、周りの人の身まで滅ぼすようなことになるのを助長するものは、良くないと思います。

ゲームの場合は、使い方次第ですが、洗脳にまで及んでくるようなものもあります。ほんとうはそうしたくないのに、という意思を曲げさせてまで、というようなものの類は、良くないもの・・・。

 

というくくりにおいて、私の母は、良くないものにハマってしまいました。

 

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だからこそ、専業主婦は選ばない

専業主婦という仕事は、最近だと、すごく人気だし、外に働きに出なくていいので、ということで、憧れの職業になったりします。

でも専業主婦は甘くない・・・仮に24時間働いたとしても、お金をもらえるものではないので、対価といえば、家族の感謝や家族の存在が対価になっていくのだと思います。

でも、感謝の気持ちは時に忘れがち・・・。幸せなことも、当たり前になることだってあるし、子供もいずれそれぞれの、新しい生活を始めていく。

夫はずっと居てくれるかもしれないけれど、関係が良くなかったら、居ること自体が苦痛になったり。居るからこそ、分かり合えないことにいらだちや不安やつらさがあったり。

 

だからといって、夫に全てを求めるのは、それも違います。

私も夫のことを全て分かることはできないし、例えば理系的な話は、もう、カオスです。全く理解できない領域だし、理系談義に花を咲かせるために、努力しようなんていう気はないのです。

そこまでやったとしても、それは文系が得意な私じゃなくなる。夫のコピーになろうとするようなすごく無謀なことであり、コピーになったらなったらで、同じことしか考えない・・・めちゃくちゃつまらない夫婦関係になります。

 

だから、全てを求めることはできない・・・

求めすぎると依存になり、重すぎて、お互いにしんどいことになっていきます。それはそれでまた、上手くいかなくなる・・・・

その結果が、母みたいになってしまうのではないかと、思っています。

 

だからこそ、家庭以外に自分の居場所だったり、夫とは別のところの価値観で一緒に分かり合える人たちと一緒に頑張るところ―――仕事場を持つということは、すごく大事なことなのだと考えています。

 

でも、しんどい仕事はしたくないし、しなくていいので、自分が望む仕事を、思い切って選んでいっていい!!と私は思います。

傲慢だっていい、我儘だっていい、誰が何と言おうと、自分がやりたいことは何なのか、そのことにまず、自分自身が自分自身に対して正直で在って、それに向かって進んでいくこと・・・・。

その結果、身近に居る人もさらに幸せになっていける。夫や、大切な人が幸せそうにしていたら幸せだと思うのと同じように、自分だって相手にそう思われている、だからいいのです。

 

自分が幸せになって、楽しく生きて、おすそわけが出来るくらいになっていけばいい。

自分が我慢して、耐えて、口をつぐんで生きるのは、自分の心を削り、自分の幸せを削るものだけど、自分が幸せを生み出し、それをおすそわけしたら、相手も幸せになるし、自分は勝手に幸せなので、むしろ幸せは増えていきます。

 

会社も、真面目な人がサービス残業みたいなもので犠牲にならなければ、誰かの幸せを生みだせない仕組みになっているけれど、それは本来間違っています。みんながそれぞれ、好きなことをやって、お金を生み出せるようになったなら、幸せは減らないのです。

もちろん、何をやっても、落ち込むことも、悩むこともあります。不安は一生なくならない。今、すごくやりたかった仕事をさせて頂いている私も、スランプになって、あーもうめんどくさい!!!って思うこともあります。

 

だけど、そのめんどくささも含めて、幸せなことの一部であると思えるから、幸せは増やしていけます。

だから我慢したり、犠牲になろうとするのではなく、自分はどうしたいかを、いつも考えて、それを叶えるために真面目にコツコツする、という方向に進むのがいいのかなと思っています。

 

仕事観・・・?人生観・・・・?

でした!!!

お読みいただきまして、ありがとうございました。

 

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