身を引くことは相手のためじゃないのでした
最近、ちょっとしたことから、すれ違いが起こってしまって、仕事の大切な人との関係がぎくしゃくしてしまいました。
それから、パソコンの前に座っても、書いても、自分の書いた文章がこれでいいのかわからなくなってしまいました。お客さんにメールでお返事しないといけないのに、自分の文章が、本当に相手のためになっているのかが分からなくなってしまいました。
そういうときは、ふて寝したり、何かに逃げたりしていくと、時間が解決してくれました。
でも、いまは、何をしていても苦しい、やけ酒しても、ゲームに逃げても、どうにも上手くいかなくなってしまいました。
なのに、書かずにいないと、どうにかなりそうなくらいの気持ちが湧きあがってきます。
お客さんからのメールを見ても、お返事できないのに、なんどもなんどもメールボックスを開いてしまって、無意味な時間が過ぎていきます。
今の、そして今までのことが、こんなに大事だったのだと気付きました。
そしてささいなことで、何もかもなくなってしまうようなことも起きるのだと。
そしてそれは、今も、私だけではなく、相手にとって大事だと思ってくれていることなのだということも分かっています。
それなのにどうして、自分から手放す選択なんかしたんだと怒りたいし、そんなに簡単に手放せるものだったのかと憤りたいし、泣きたいです。
でも、自分から身を引いてしまう気持ちもすごく分かるんです。
離れていくことが、自分の存在が相手の重荷や邪魔、迷惑であると思って、私はかつて、たくさん、身を引いてきました。嫌われて壊れていくのを見るくらいなら、離れたかったのです。
自分の存在が誰かのためになることなんて、あるわけがなく、いつも自分は誰かのそばに「いさせてもらっている」のだと思っていました。
だから、相手が要らないと思うなら、素早く身を引くことが何よりも大事だし、自分にとってはすごく楽だったし、相手のためにもなるのだと思っていました。
でもそれは、自分のことを本当に大事に想う人にとっては、とても自分勝手で、すごくひどいことなのだと、わかりました。
自分が好きなことだったり、大事にしたいものを、すれ違うことがあっても、大事だと諦めずに伝えることは、相手のためでもあったのです。
「いさせてもらっている」人なんていないのだと。
何か失敗したり、上手くいかないことがあったり、迷惑みたいなことをかけることがあっても、それくらいで揺らいだりするものなんかじゃない。それで揺らぐなら、最初からどうでもいい関係だったのです。
会社は、ミスを許さなかったりして、給料が減らされたりすることも多いです。
私は前の会社で、何回も失敗してしまって見放されたけれど、でも、会社はそうです、誰か代わり、もっと優秀な人を雇えばいいやくらいに思っています。実際に、あなたの代わりはいくらでもいるのよ、と言われました。
だから、私たちはびくびくしながら、日々いつ要らないと言われるのかということに怯えながら生きていることになるのかもしれないです。
でも、そういう会社では、「それだけの」関係であって、そんな会社にいつまでも居る必要なんてない。
会社には、どうぞ代わりを見つけてもらって、そして自分は自分の居場所を探していくべきなのだと思います。
でも、私にとってその人の代わりなんていないし、そんなことで関係が終わるものなんかじゃない。失敗したのだってその人のせいだけではなく、私にも至らないところがたくさんあって、一緒にいくらでも挽回できるし、どうにでもなる、死なない限り、解決出来ない問題なんてない!
だけど、それを私のためにみたいに、勝手に身を引くのは本当に許せないことです。
それくらいの信頼関係だったのかということが、ショックです。
私のことが嫌いになって去っていくなら別にいいけれど、そうじゃないなら、どうしてです。
だから自分の意思を大事にしたり自分が本当にやりたいと想うことや、自分がほんとうにどうしたいかを大事にしていかないといけないです。
本当に大事に想うなら、誰が何と言おうと、嫌われたかもしれないと思っても、怖くても、自分はどうしたいのか、を一生懸命伝えればいい。
ただ正直に生きればいいだけなのに、色んな感情や、嫌われたくなかったり、八方美人になってしまったり、身を引いてしまったり、何もかもぐるぐるめんどくさいことに勝手にしてしまうのは、本当に自分なのだと思います。
それは、私自身の中にもあって、相手が本当にどうしたいかは、相手にしか分からないのに、自分の中でこうに違いない、なぜなら私がそうだったから。
と決めつけて、勘違いして、勝手に突っ走ってしまった私の責任でもあります。
カウンセラーさんに教えてもらったことがあります。
人間関係が上手くいくためには、相手の心を信じる事なのだと。
私がいままで、人間関係が上手くいかなかったり、コミュニケーションが取れなかったのは、相手のことを基本的に信じていないからでした。
猫をかぶりまくって、決して素の自分をさらけ出さないようにしてきました。
それは私自身を信じていない(こんな自分を好きになる人なんていない)ということから来るものでしたが、結果的に、常に相手を疑っていたということになります。
そんな、自分の本音を明かさない人間を、信頼できる人なんていないし、だから上手くいかなかったのです。
だから、正直に、自分の気持ちを大事に生き、そして怖くても、嫌われるかもしれないと思っても伝えることが本当に大事なことだったのだと思ったのです。
そうやって伝えることで、嫌いになる人もいます。
離れていく人もいます。
でもそれはそれだけの人だったのです。
その代わり、今までのネコをかぶって八方美人でニコニコ貼り付けたような笑顔をしてきたときとは、全然違う本当に素敵な人たちと出会えるようになったのです。
会社のときには、決してなかった、心から、毎日が楽しいと想える日々です。その人たちのおかげで、私はいつも幸せだったのです。
今回のその人は、そんな私の数少ない、大事な人たちの中の1人です。
ほんとうに、何物にも代えることができない人です。
だから勝手に、私が、ミスなんかで離れていくような人だと決めつけていることに、怒っている・・・悲しく、寂しく想っています。
そして私は、分かりました。
私は好きなのです、大事なのです、そして今も心から信じています。
絶対という人間関係はないけれど、それでも私にできることは、信じることしかないのかもしれないです。
結局、人ひとりに出来るのは、信じていることを伝えることくらいかもしれないですね。
心から好きであること、大事であること、その気持ちを自分が確かにしながら、それをただ、伝えていくだけ、それしかできないのでした。
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