【風景写真あり】人生に迷うなら高野山金剛峯寺のおすすめ観光ルートはお墓でした
高野山金剛峰寺、京都の比叡山延暦寺と並び、学校で習いましたよね~~。
空海と最澄はどっちがどっちだったか、いつも忘れてたっけ。(高野山が空海でしたが、これは一度行けば忘れない理由ものちほどに!!)
京都に住んでいた関係で、比叡山には行ったことがあったのですが、高野山には行ったことがなく・・・。調べてみると、なんと和歌山県にあるんです!!!意外と遠い高野山、でも、死ぬまでに一度は絶対に行ってみるべき!!!と思いましたので、レポートいたします。
目次です
電車+ケーブルカーにて
京都からは、なんと4時間くらいかかります。
大阪まで出て、南海高野線で最寄駅、「極楽橋」で降ります。その後、ケーブルで高野山駅に行きます。
ケーブルの中の様子
外の様子
これでゆっくり上っていった山の頂上には、お寺を中心とする、ひとつの都市が広がっていました。
都市といっても家がみっちりとかではないですが、こんな世間から離れた山の上に、こんな街並みがあるんだ!!!とびっくりするくらいの場所でした。
いくつか名所はあるけれど、おすすめは
1つの街が広がっている・・・と書きましたが、本当に広いので、1日では到底まわりきれません。
バスを使わないと回れないレベルなのですね。(なので、途中で乗り放題バス券を買いますよ!案内があるので、それにしたがって乗り放題券を購入されるのがおすすめです)
京都からだと4時間くらいはかかることもあり、帰りの時間も気にしつつなので無理です!
今度行くときは泊りがけで行こうと思うくらいです。
だからこそ、どこに行くべきか・・・は考え所ですが、絶対にここは行くべき!!!というのが、
「奥之院」と、そこに行くまでの道のりにある、お墓(参道)です。
お墓?!なぜに?!という感じかもしれませんが、とりあえず画像をば・・・
お墓なだけに、ちょっと撮るのがはばかられましたが、上記のようなお墓の道が奥の院まで、20分ほどずっと続いていて、その間を歩いていきます。
もう、写真だけだと全然良さが伝わりません。天気の良い日に行かれるのがいいですが、墓石と森が、音を吸い込んでしまったかのようにしずかで、木々の間からもれるこもれびに、石がキラキラてらされて、なんともいえない雰囲気をかもしだしています。
高野山はパワースポットと呼ばれているようですが、この空気感はまさに、何かしらエネルギーに満ちているのではないか・・・と思うほどのものでした。
そして!!身が引き締まるようなこの場所をさらに引き立てているのが、その墓石に刻まれた名前です。
なんと、歴代の将軍だったり、有名な武将たちの名前が入った墓石なのです!!!歴史に詳しくなくても、その名前は必ず知っているようなレベルの名前です。
しかも、別の道には、なんと今の有名企業の名前が入った墓石まで!!
まるでこれから倒産するかのような感じなのか・・・?!どういうことなの・・・?!と思っていたら、企業に勤めていた人たちで亡くなった人を供養するもののようです。終身雇用で、1つの企業でずっと働くことが多かった昔の名残にて、会社のために働いた人たちを慰霊するもののようです。
あとは、ここにお墓を建てることが出来る、ということはそれなりの地位を築いた会社、ということで、ここにお墓を建てるのが憧れ、という風潮もあるようです。
企業墓と呼ばれるこの墓石は、ヤクルトの形をしていたり、ロケットの形をしていたりとかなりユニークなので、どういうのがあるのかもぜひ見ていってくださいませ。
このお墓道は、奥の院へのバスを使うと見られませんので、行き帰りどちらかは、徒歩で行かれることをおすすめいたします。
そして奥之院にはなんと、あの人が・・・
そして、この参道を抜けた向こうには、奥之院と呼ばれる場所があります。
そこは写真撮影禁止で、しかも、しゃべってはいけない、というような厳かな場所です。
というのも、高野山を作った「空海」が、まだ今も、この奥之院にて修行中だから、というのです。
空海は最後、永遠の瞑想の修行に入りました。その場所が、奥之院にて、今もそこで修行中なのだということなのです。生きながら、永遠の修行に入った場所・・・そう考えると、静かにこの場所をたずねるのもうなずけます。
あとは、やっぱり金剛峰寺!!
そして見ておきたいのが、高野山金剛峰寺というのだけあるので、金剛峰寺は見ておきたいですよね。
外観はこんな感じで、建物に詳しくない私には、とても質素?な感じですが、中身は見ごたえ抜群です!
というのも、中身には、当時の暮らしの間取りみたいなのが残っています。
これがほおー!なるほどー!!という感じで面白いです。
あとは、京都のような石庭があったりとか、
素敵な庭も他にもあるので、ぜひ一度、ここも訪れてみられるといいかと思います。
あと、ここは豊臣秀次が切腹した場所です、というのもあって、なんと・・・!という気持ちになりました。
※豊臣秀次、豊臣秀吉の甥にあたる人で、子供のいない秀吉の養子になって、関白になっていました。でも、秀吉の息子である秀頼が生まれたことにより、秀次が邪魔になって、秀吉は、秀次を、高野山に追放しました。
なぜ切腹したのかは、秀吉に切腹を命じられたとか、高野山での幽閉生活に耐えられなくなり、自ら腹を切ったなどと言われています。
私は歴史には詳しくないですが、そういう歴史で良く見る名前の人たちが、ここで確かに生きたり、最期を遂げたりした場所たちを見ると、なんともいえない気持ちになります。
高野山の魅力とは
私たちは日々、社会や世間の、色んなものに縛られています。そんな毎日から、行くにも不便であるこの高野山というのは、あらゆる煩わしさから、遠ざかっているような場所でした。
過去の人たちに想いを馳せながら、今の自分の生き方を、静かに見つめる・・・・高野山は、そういう場所なのではないかと思います。私が行ったのは夫の実家に帰省している真冬の大晦日、12月31日。
お店もやっていなかったですが観光客も少ないこの時はかなり良いもので、今年はどんな年だったかを振り返りながら、来年の自分の生き方を考える・・・そんな穏やかなでゆったりとした、瞑想のような時間を過ごすことができました。
観光のみならず、人生に迷っているときも、一度訪れてみることを、おすすめいたします。
高野山で困ったのは、お昼ご飯を食べる場所・・・!なので、どこで食べたかを次の記事にてご紹介いたします。