良い子で自分がないバケモノの子の一郎彦の考察。自分らしさの意味とは?

出典:http://www.bakemono-no-ko.jp/

細田守監督、「バケモノの子」。この物語は、いい子でいなきゃいけない。

良い子じゃないと、と思って自分らしさを見失ってしまいそうになるあなたへの物語。

 

 

注)この先、ネタバレ考察を含みます。

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目次です

母を亡くしてひとりぼっちの主人公

物語は、主人公がひとりぼっちになってしまうところから、始まります。優しかったお母さんが亡くなり、本家の跡取りとして引き取られていこうとするところを、反抗して、1人で生きていこうと、家を飛び出す主人公:蓮。

勢いで飛び出したはいいものの、お金も少額しかなく、途方に暮れる蓮。けれども帰る場所をなくしてしまったので、渋谷の橋の下で、どこにも行く宛てなく座り込んでいました。そこで、バケモノたちの世界でも、暴れん坊でどうしようもない男で有名な、「熊徹」と出会います。

そこから、お互いの運命の歯車が、大きく動き出していきます。

 

そして残酷さと、優しさのラストへ向かいます。

 

 

いい子で在ろうとしたがために闇を抱える人々

私が感じたのは、「いい子で在らなければならない」を否定する物語、ということでした。

 

いい子であることを否定して、いい子ではない、バケモノである「熊徹」と生きた「蓮(九太)」

いい子で在り続けようともがいて、苦しんでいる「楓」と、「一郎彦」

 

この対比で進んでいった物語だったのではないかと思います。個人的には、蓮の気持ちよりも、楓や一郎彦の気持ちの方が、共感しました。

 

高校生の頃は、私は親にとって、最高にいい子だったと思います。反抗期と呼べるものはなく、親の言いつけには逆らわない。学校で問題を起こすこともない、家では、お姉ちゃんだからしっかりしなさいと、言われることもなく、むしろお姉ちゃんを見習いなさい。でした。

いい子でいれば、楽だったんです。楓の気持ちは痛いほどわかりました。いい子でいれば、我慢しさえすれば、波風立たずに、何も不快な思いをすることなく、親を悲しませることもなく、誰も傷付けることなく、生きていけました。それはそれは、楽だったけれど。でも代わりに、自分って何だろうと思い始めました。

 

全てに「YES」と答えることは、もはやそれは私じゃありませんでした。誰かの考え、誰かの気持ち、誰かの行動。それを全て優先させていったら、もうそこには、私はどこにもない。

 

楽だけれど、とてつもなく息苦しかったのを覚えています。

 

 

そして、その息苦しさは、ひずみとなって、いずれ、とんでもないものになる。

勉強ばっかりだった人が、大学生になったらはっちゃけてしまうように。私の場合だったら、ハンググライダーを始める!とか言って、散々親を困らせて心配させまくったときのように。

 

きっかけがありさえすれば、積もり積もったものはいずれ、爆発してしまう。

爆発してしまう前に、本当の自分を知ってくれる人が現れた「楓」と、ずっと耐え抜いてきた「一郎彦」に、その差が現れました。

 

 

一郎彦の胸に空いたひずみ。それこそが、今まで耐え抜いてきたひずみとして描かれていたのではないかと思います。

一郎彦の抱えた闇の考察

一郎彦は、本当は、猪王山(いおうぜん)の息子ではありませんでした。蓮と同様、猪王山が親代わりとして育てた「人間の子」だったのです。

けれども、猪王山は人当たり良く、誰からも好かれる、いい親、模範的な男です。

 

それなのにどうして一郎彦は、闇を抱えてしまったのでしょうか?

 

 

その答えは、「人間であること」を否定されていたことにあるのではないかと思います。

 

 

事情が事情であったがために、人間として育てていくわけにはいきませんでした。その方が、一郎彦のためだとも、猪王山は考えたのかもしれません。集団の中で、異端児とみなされてしまっては、生きづらくなってしまう。辛い思いをしてしまう。そんな親心だったのかもしれません。

 

けれども、いつまでも隠し続けられるわけではありませんでした。なぜならば、猪王山の息子であるにも関わらず、一郎彦には、牙も耳も生えてきませんでした。憧れる優しい父。父のようになりたいと、幼いころから、ずっと願って、父の背中を追いかけていったのに、身体はついてきてくれない。

それは絶望だったかもしれません。

 

どうして自分だけが、こうなのかと。弟の次郎丸には、牙も耳もあるのに、どうして自分だけ・・・・・。

そしてそんな気持ちが出始めたのか、一郎彦は、徐々に人前に顔をさらさなくなっていきました。弟の前でも、口を隠す場面がありました。

 

 

もしも、人間として育ててくれた、もしくは、人間なのだと教えてくれたのなら、葛藤しながらも、闇に飲み込まれることはなかったかもしれません。なぜなら、自分に牙も耳も生えてこないのは、自分が人間だから、と逃げ道を作れるからです。

 

けれども、お前は俺の子だ、バケモノの子だ、と言われて育ったら、妙な容姿であるのは、「自分のせいだから」ということになってしまいます。

 

 

親の愛情で包んでいるつもりだったのに、根底は人間という、アイデンティティを否定しているがために、一郎彦の本来の姿までも、否定してしまったのです。

楓が、いい子でいようとしてしまったのも、もしかしたら、いい子であって欲しい、という気持ちを、子どもの鋭い直感で察してしまったからかもしれません。そしてその方が楽だったけれども。

 

 

でも、本当の自分じゃない。そんな違和感に、ずっとさいなまれ続けることになるのです。

 

 

それがどんなに愛情だったとしても、どんなに相手のことを想ったつもりだったにしても。

自分が親の立場になったときに、果たして、否定することなく育てることが出来るのか。私にはまだ、わからずにいます。

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暴走し続けた2人

一方、そんな常識とか、しがらみとか、めんどうくさいもの全てを、蹴散らす熊徹と、蓮。2人の言い争いは、「NO」ばかりです。言いたいことしか言っていない。

それが時には、お互いを傷付けたり、悩んだりすることになりながらも、でも、だからこそ、次第に深まっていく絆。

 

上辺だけで付き合っている人たちとは違う、けなしあいながらも、すれ違いながらも、それでも、向き合っていきながら関係を築いていき、心をひとつにしていく姿に、涙なくしては見れませんでした。

宗師さまがくれた旅が教える生き方

どうやって生きるべきなのか。細田守監督がくれた答えは、実は、宗師さまが、熊徹にくれた、諸国の賢者たちをめぐる旅にあるのではないかとおもいます。

 

諸国の神様たちは、神様といっても、仏さまみたいに、欲を断ち切った人たちではありませんでした。むしろ、人間味(?)のある者たちばかり。念動力が使えても、腰が痛いことで悩んでいる神様。あらゆる美食を追い求める神様。石のように動くことなく、ただただ自然に溶け込んでいこうとする神様。ある意味欲望に忠実です。

こうしたい、ということに、他の人から見れば意味がなくても、その人たちには意味があること。誰かが素晴らしいと思うようなことでなくても、変人だと思われるような生き方であっても、それは自分自身が正しいと思って、それを正解にする生き方。

 

自分の中で幸せだと思うことを、とことん極めた人々。それが、あの話での神様になっている。そこにはなにか、深い理由が込められているようでなりません。

 

どんな自分になりたいのか、決めていったその先に。本当の幸せが訪れる。蓮は、常に欲望に忠実でした。親戚に迎合しませんでした。熊徹にひたすら逆らいました。人間世界の興味を探求しました。死ぬかもしれないと思いながらも、それでも、一郎彦と戦うことを選びました。

 

それがときには、誰かを犠牲にするものであったとしても。

 

普通は、犠牲になって悲しいことも起こるけれども。

 

それでも、進んでいいのだと。

九太が前に進めるのならば、踏み台になることが俺の本望だとでも言わんばかりの、熊徹最後の決断でした。もう言葉がありません。そこまで、出来るなんて。

 

それとも熊徹にとっては、幸せなことだったのでしょうか。変わっていく、手を離れて前に進んでいってしまう九太の、道をさえぎることなく、一緒に進んでいける道だったから。踏み台になったわけじゃなかったのでしょう。

その最後の、残酷だけれども、ただひたすらに優しい終わり方に、脱帽です。

おとなになっても、時々、わがまましたっていい

社会に出て、学生のときよりも、さらに理不尽なことばかりになりました。振り返ってみて、さて、諦めながら生きてきたのではないのかと、思ってしまいます。でも、その中でも、熊徹のように、強くはなくても、不器用でも、でも、与えられた環境の中でもがく人もいる。不器用だっていい。嫌われたっていい。ただ、自分の気持ちには正直に生きる。

 

しがらみもたくさんあって、なかなか出来ないけれども。

 

それでも、悲鳴をあげる自分の声に、ときどき素直になってもいいのかもしれない。

そんなふうに感じさせてくれる物語でした。

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